統治行為論の本質

統治行為とは国家機関の行為のうち、法的な判断が可能であってもその高度な政治性故に司法審査の対象とされない行為のことをいいます。この概念はフランスの判例に於いて展開された理論が日本でも定着したものです。また全く同じではありませんが、これと同様の概念はアメリカでは政治問題、またイギリスでは国家行為と呼ばれるものがあります。そして、この統治行為論は高度な政治性を有するが故に司法審査よりも政治的判断を優先させるものであることから、憲法が掲げる権力分立主義に反して認められないのではないかが問題となります。これについては見解が分かれていますが、通説的な考えでは肯定されています。なぜなら裁判所には高度な政治問題に対して資料の収集等判断能力に限界があり、また司法の政治化を招く危険があることから自制すべきであるとされています。そして、国民主義下の権力分立体制に於いては民主的基盤の弱い裁判所よりもむしろ国会や究極的には国民に判断を委ねるべきものであり、このことから民主制の原理に内在する制約によって司法権の除外事由として憲法上認められると解されています。但し、統治行為は法の支配の点から司法の重大な例外であるため重要な基本的人権や他の理論で説明がつくものについては適用すべきではないとされています。